「まことにわたしは、その事の そのとおりであることを知っている。 しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。
「まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。
「そのようなことぐらい、私も知っている。 ちっとも耳新しいものはない。 しかし、答えてもらいたいものだ。 人はどうしたら神の目から見て、 正しい者となれるのか。
それは確かにわたしも知っている。 神より正しいと主張できる人間があろうか。
「まことにわたしは、その事の/そのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。
彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――人は罪を犯さない者はないのです、――あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、敵の地に引いて行く時、
ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。 女から生れた者がどうして清くありえようか。
見よ、月さえも輝かず、 星も彼の目には清くない。
その時ラム族のブズびとバラケルの子エリフは怒りを起した。すなわちヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので、彼はヨブに向かって怒りを起した。
あなたは言う、『わたしはいさぎよく、とがはない。 わたしは清く、不義はない。
ヨブは言った、『わたしは正しい、 神はわたしの公義を奪われた。
『人は神の前に正しくありえようか。 人はその造り主の前に清くありえようか。
ヨブは答えて言った、
主よ、あなたがもし、もろもろの不義に 目をとめられるならば、 主よ、だれが立つことができましょうか。
あなたのしもべのさばきに たずさわらないでください。 生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。